もちもちおねいまんと4枚の絵

もちはもちや おねいまんはもちもちおねいまんです

祝日

セカンド・ウインターズ・ホリデイには、「国宝」を見てそのあとスターバックスでジョイフルメドレー・ラテを、セーターの袖口で挟んでテラス席でふーふーって飲む予定。国宝はみんなが言うように映画館で見て正解でよかった。吉沢亮は北島マヤ。彼なら紅天女もできるなって思った。ジョイフルメドレーはもう終わりましたと言われて(´;ω;`)快活クラブでジャスミンティーとアールグレイとミルクとシロップでブレンドティを作って飲んだ。ヤンマガの昴と彗星と瞬きの音を読んだ。

たぶんこんな味

 

立場

宮本常一の「忘れられた日本人」の「土佐源氏」で、‘’おんなの人はおとこの気持ちになって話を聞くことができるが、おとこの人はおんなの人の気持ちになることはできない‘’というようなことが語られていた。彼がモテた理由はこの視点があったからだろうなと思った。そのいっぽうで、わたしがいままで男性主催の貧困女性を助ける団体などへの違和感の正体もこれだなと思った。たとえば男はスーパーヒーローになって負担を請け負おうとするが、貧困な女になってみようとは思わないのではないか。

風の音を聞くだけ

 

潜伏

できれば、DNAには重要なことを書き込みたい。大事にしていて人には言えないけれど、ずっと残しておきたいもの。好きなものや好きな人、たとえばワンレングスの髪。あの夜のにおい。事細かに、二重らせんの裏側に隠して圧縮しておきたいのだ。
 時折、年配者が娘ほどの子に手出ししようとして軽蔑される。けれどもそれは仕方ないことではある。その伝達方法が確かならば27年前に断絶した時代の価値観を宿した肉が再び現れたことに驚心動魄したのだから。

人間一生誠にわずかの事なり

 

物語

わかったかもしれない。ガルシア=マルケスが百年の孤独をどういう文体で書いたらよいか迷っていた時に、「むかし祖母が語ってくれたように」書けばいいのだとひらめいた。という意味を。口から流れるリズムと節回し。彼は聴いていた。それは読み書きができない彼女が自分の中に入れて持っていたものだ。わたしには物語が残るだろうか。毎日、膨大な文字をハードディスクに入れるように書き込んでいる。そして消して書いてまた消している。

つかれたりわすれたり



参考

しごと終わった家帰る。電車発車まであと9分。バッグもってロッカー行ってコート取って、セーターもあったんだった、抱えてエレベーターのボタンを押し、ジャケットの上から着てしまう、セーターを。コートを。降下する更衣室状態。1Fからはスキップダッシュでガラスの向こうの歩行者用の信号のメモリを見ながら、コース取りと走り出すタイミングを図っている。家ついて22時47分。スノーボードクロスの決勝。いいな。あの速さ。滑らかで途切れないんだ。

ミラノコルティナオリンピック 

 

価値

いくつかの皿が鎖で束ねられている天秤の、皿の一つに板状分銅の重さで乗り、揺れ具合を確かめている。選挙とか神社とかあってもいいけど、わたしの人生に訪れる困難のすべては全部わたしの力でやらせてください。と願う。あの経験でいまがあると思えるように。真夏の大阪万博のベンチで食べたバインミーが2,400円ブルーハワイのかき氷が1,200円であったことで、セブンイレブンの弁当は、ほんとうに安いなって思えたみたいに。

てんびんばかり

 

福祉

東映安寿と厨子王丸」(昭和36年公開)を観終えて、平安時代は児童福祉の精神がなくて悲惨などと思っている。親がいなくなると人買いにさらわれるとか、世の中はいまのほうがだんぜんいい気がする。姉は水鳥になり弟を守護したことになっている。ちょっと前までは福祉のかわりが霊力だった。*1マルエツの花売り場でジュリアンを6鉢買った。元気いっぱい、明るさしかない。

ジュリアン

 

*1:(んなわけあるかかわいそうに。)