ベートーベンやプロコフィエフのピアノ協奏曲を聞くと、見知ったルートで風景を飛び懐かしい場所に帰ってこれた気になるのだが、マーラーやブルックナーの交響曲だと音のハーモニーは広大なうねりとなり飲み込まれるものになる。コンパスさえあれば分け入って開拓したり、浮き輪さえあれば漂流して新天地に辿りつくのにとくよくよとしてきたのだが、おそらくそのどちらも持たずに行くことが覚悟である。
愛するって過酷だから子どもにはまださせたらだめなんだ。親を赦したり守ったりするそんな経験は、と愛の意味についてを考えていた。大雪、山火事、ある日は暗く冷たい雨、星の夜、半月、半月よりもうちょっとおおきいやつ、(中略)、そして満月の道までの復路。六日目のドアをあけ大きな声でただいまと言った。さむいしごといきたくないって思った今年一番の憂鬱を今乗り切った!あけましておめでとうございます。
かぜをひくわけにはいかないのだよと猫背ぎみであるいている。オリオン座が刻一刻とのしかかる道の途中で、スーパーマーケットに入りためらいながら一番高いヤクルトY1000を買った。春の野原は緑、空は青く雲は白く。ゴールデンレトリーバーをよーしよーしと両手で撫でている。起き上がってみるとよく寝ていた気がする。熱も疲れもストレスさえもなくなってしまった。
人の心も、物語の先もよめないので、ただ出てきた言葉を追っていくだけ。つかまえようとしないで、触れようとしないでいる。察したとしても打ち消して、言葉だけを待っている。たとえ本当のことではないとしてもいいし、正直にならなくてもいい。深くて暗いところを通って出てきたそれはこれだってことだね。