明るい農村昭和46年ころの四国の映像には、ため池から田に水を引く様子が。太い線香を立てその一本が燃え尽きるまでの間だけ、注がれる水に頭を垂れ手を合わせ祈り、あるものは清酒を垂らす。阿波おどりは稲たちを擬人化したものかな。稔りの喜びがいっぱいに並んで迫ってくる。
悩みって大きいも小さいもなくてなやみは平等に悩みである。綿毛布の形をした悩みが風にあおられて去ったように、ある過去部屋の古カーペットをベランダに出してほこりを払った時去ったあの貧乏神のような何か。それは悩みの三本の転々々だったのではないか。実存として風に連れ去られた髪の毛たち、今ものこされたりっしんべんとひよめきよ。
今年の休みは年賀状も仕事もやらない。自分を変える。変えられるのだろうか果たして、あとまわしの癖を。作戦としては仕事の余韻のある今から寝ずに三つの残りを片付けてしまうことである。無言で余力で丑三つ時にやり遂げた。くしゃみをしたら右の目と鼻が痛くなってしまった。鏡を見たら半分だけ泣いているみたいだった。ごろんちょしてハッとし、ごろんちょしてハッとしするしぐさがもうできなくなってしまったではないかと、風邪をひいた猫の恨みの顔だった。