もちもちおねいまんと4枚の絵

もちはもちや おねいまんはもちもちおねいまんです

赤い靴

アンデルセンの童話に「赤い靴」という物語がある。少女は赤い靴が大好きで、それを履くと自分の意思に反して踊り出し、踊り続けてしまう。もう履くまいと決めても赤い靴が履きたくてたまらなくなる。そして彼女決心したことは・・・

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E3%81%84%E9%9D%B4_(%E7%AB%A5%E8%A9%B1赤い靴(あらすじ)

子供のころ家にあったその絵本の挿絵が恐くて恐くて仕方なかった。


***
先日古本屋さんで手に入れた1993年2月発行の「広告批評」のインタビューで村上春樹氏が「国境の南、太陽の西」について次のように語っているのをみつけた。

英語に「俺の靴に足を入れてみろ」という表現があって、これは「俺の身にもなってみろよ」という意味なんだけど、小説を書くというのは誰かの靴に足を入れてみる作業でもあるんです。だから、僕はあの小説では主人公のハジメくんでもあり、島本さんでもあり、由紀子でもあるわけです。僕はそういう人たちひとりひとりの靴に自分の足を入れることによって自分を相対化し、その相対化を通して僕という傾向によって歪められた自己を癒していくわけです。

わたしは悲しいテーマの映画や小説を見たり読んだりすることを数年前から意識的に避けている。それはその作品が、わたしにぴったりのサイズの赤い靴であったら、泣くと思うから。泣くうちにしまっておいた悲しいことを次々に思い出してきっと心穏やかに日常生活を送れないほど泣いて泣いて崩れてしまうかもしれないから(そんなふうに沈んでみるのも素敵だと思うけれど、でもやっぱりそれは危険だ)。
ブログも靴だと思う。自分と全く違うサイズの靴、履きふるした靴、履いていたその人の存在を連想させるような靴。古靴がとにかくたくさんたくさん並んでいる。わたしは仕事用のヒールを脱いでいろいろな人の靴を借してもらう。・・・この感触が君の地面なんだ・・・って呟きながら。*1



・・・

*1:けれども泣くことはない。